生い立ちと放浪の青年期
昭和30〜
サンフランシスコで生まれ、生後すぐ養子に出される
実母ジョアン・シーブルは、大学への進学を約束したことを条件にポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻との養子縁組に同意した。夫妻の住むカリフォルニア州マウンテンビューで育つ。
小学校で1学年分の飛び級
好奇心の強さを4年生の担任教師に見出され、学年を一つ進められた。
ホームステッド高校でスティーブ・ウォズニアックと出会う
電子工作好きの先輩ウォズニアックと知り合い、違法な長距離通話装置「ブルーボックス」を共同で製作・販売する、最初の“事業”を経験した。
リード大学に入学するも半年で中退
学費の重さに罪悪感を覚えて正規の学生としては中退。その後もカリグラフィー(西洋書道)など興味のある講義だけを聴講し、計18か月をキャンパスで過ごした。
アタリに就職し、半年後にインドへ
「雇ってくれるまで帰らない」と直談判してアタリの技術者となる。旅費を貯めて友人ダニエル・コトケとインドへ渡り、導師を求めて放浪、禅仏教に傾倒して帰国した。
Apple創業 ―― 栄光と追放
昭和51〜
— ウォズニアック、ロナルド・ウェインと「Apple」を創業
自作コンピュータ「Apple I」を販売するため、ジョブズの実家の一室で会社を立ち上げた。ウェインはほどなく自分の出資分を800ドルで売却し離脱している。
「Apple II」が商業的大成功を収める
パーソナルコンピュータという概念を一般家庭に広めるきっかけとなり、Appleはシリコンバレーを代表する企業へ急成長した。
交際相手との間に長女リサが誕生
パートナーのクリスアン・ブレナンとの間に長女リサ・ブレナン=ジョブズが生まれる。当初は父子関係について見解の相違があったが、1980年のDNA鑑定をきっかけに認め、養育費を支払うようになった。
Apple、株式公開(IPO)
上場により個人の株式資産は一夜にして約2億5,600万ドルに達し、25歳のジョブズは著名な起業家として注目を集めた。
ペプシコーラのジョン・スカリーをCEOに招く
「このまま一生砂糖水を売り続けたいか、それとも世界を変えたいか」と説いて引き抜いた人事が、のちにジョブズ自身の運命を大きく左右することになる。
— 「Macintosh」を発表
マウスとGUIを備えた革新的なコンピュータとしてマスコミに絶賛されたが、数か月後には販売不振に陥り、Apple社内でのジョブズの立場を不安定にした。
スカリーとの対立で実権を失う
Macintoshの不振を経て取締役会はスカリー側につき、ジョブズは事業部門の責任者としての権限を剥奪された。
Appleを去る
取締役会へ正式に辞表を提出し、保有していたApple株のほぼ全てを売却して会社を離れた。
NeXTとピクサー、再生の10年
昭和60〜
新会社「NeXT」を設立
高等教育向けの高性能ワークステーションを手がける企業として、自らCEOとなって立ち上げた。
ルーカスフィルムのCG部門を買収し「ピクサー」に
1,000万ドルで買収してCEOに就任。当初は専用ハードウェアの販売を主軸とする会社だった。
スタンフォード大学の講演でローレン・パウエルと出会う
講演後、予定していた会議を後回しにして彼女と食事に出かけたという。
ローレン・パウエルと結婚
ヨセミテ国立公園で結婚式を挙げ、同年9月に長男リード・ポール・ジョブズが誕生した。
次女エリンが誕生
ローレンとの間に二人目の子をもうけた。
— ピクサー『トイ・ストーリー』が公開
世界初の長編フルCGアニメーション映画として大ヒットを記録。同月にピクサーは株式を公開し、ジョブズは億万長者としての地位を確立した。
世間「夢のような映像体験」とアニメーション業界に衝撃を与えた。
Apple、NeXTの買収を発表
業績不振に陥っていたAppleがNeXTのOS技術導入を目的に買収を決定し、ジョブズは顧問としてAppleに戻ることになった。
Appleへの復帰とデジタル革命
平成9〜
— Appleの暫定CEO(iCEO)に就任
経営不振だったギル・アメリオに代わって事実上の指揮権を握り、同年のMacworldではライバルだったマイクロソフトから1億5,000万ドルの出資を取り付けた。
「iMac」を発売
デザイナーのジョナサン・アイブと手がけた半透明ボディの一体型コンピュータが大ヒットし、Appleの業績を立て直す原動力となった。
三女イヴが誕生
ローレンとの間に三人目の子をもうけた。
「暫定」を外し正式にCEOへ
取締役会から1,000万株のストックオプションを贈られ、Appleの正式な最高経営責任者となった。
— 「iPod」を発売
携帯音楽プレーヤーとして大ヒットし、翌年以降のiTunesと合わせて音楽産業に変革をもたらした。
「iTunes Music Store」を開設
デジタル音楽配信を合法かつ手軽な形で普及させ、後年のApp Storeなど配信ビジネスの原型となった。
膵臓に腫瘍が見つかる
進行の緩やかな神経内分泌腫瘍と診断された。外科手術を勧める周囲の声に反し、当初は食事療法など代替的な療法を試みた。
iPhone革命、闘病、そして死
平成16〜
膵臓腫瘍の摘出手術を受ける
周囲の勧めから9か月後にようやく外科手術に踏み切った。手術は成功したと公表された。
スタンフォード大学の卒業式で講演
自身の生い立ちや闘病経験を振り返り、「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、愚かであれ)」という言葉で締めた講演は、のちに世界中で語り継がれる名演説となった。
— 「iPhone」を発表
Macworld Expoの基調講演で携帯電話事業への参入を発表。同年6月に発売されたiPhoneはスマートフォンという市場そのものを再定義した。
ガンが肝臓に転移していたことが判明
公の場では健康を強調していたが、内部では病状の深刻化が進んでいた。
病気治療のためCEO職を一時休職
体重減少について「ホルモン異常」と説明していたが、まもなく治療に専念するための休職を発表した。
肝移植手術を受ける
深刻な肝疾患のため移植待機リストの最上位に入り、テネシー州の病院で手術を受けた。当時は公表されず、6月の復職時に明らかにされた。
「iPad」を発売
タブレット型コンピュータという新しい製品カテゴリーを切り拓いた。
三度目の医療休職を発表
体調の悪化を受け、再び療養に専念することになった。
Apple CEOを辞任、会長に
取締役会への書簡で「CEOとしての責務を果たせなくなる日が来たら、最初にお伝えする」という以前からの約束を果たし、後任にティム・クックを指名した。
パロアルトの自宅で死去
膵臓腫瘍の転移による呼吸停止のため、家族に見守られながら息を引き取った。56歳没。
世界各地で追悼の声が広がる
オバマ大統領をはじめ各界の指導者が哀悼のコメントを発表し、スタンフォード記念教会では追悼式が営まれた。同月下旬には本人が全面協力した伝記『スティーブ・ジョブズ』が刊行され、世界的ベストセラーとなった。