★ STAR TIMELINE

Steven Paul Jobs

スティーブ・ジョブズ

養子として育ち、21歳で立ち上げたAppleを世界的企業に変えながら一度は追放され、NeXTとピクサーでの再生を経て、iMac・iPod・iPhoneで人々の暮らしを刷新した共同創業者。

昭和30年 米サンフランシスコ生まれ ・ 1955–2011

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1955(昭和30) サンフランシスコで生まれ、生後すぐ養子に出される1965(昭和40) 小学校で1学年分の飛び級1971(昭和46) ホームステッド高校でスティーブ・ウォズニアックと出会う1972(昭和47) リード大学に入学するも半年で中退1974(昭和49) アタリに就職し、半年後にインドへ1976(昭和51) ウォズニアック、ロナルド・ウェインと「Apple」を創業Apple創業1977(昭和52) 「Apple II」が商業的大成功を収める1978(昭和53) 交際相手との間に長女リサが誕生1980(昭和55) Apple、株式公開(IPO)1983(昭和58) ペプシコーラのジョン・スカリーをCEOに招く1984(昭和59) 「Macintosh」を発表Macintosh1985(昭和60) スカリーとの対立で実権を失う1985(昭和60) Appleを去る1985(昭和60) 新会社「NeXT」を設立1986(昭和61) ルーカスフィルムのCG部門を買収し「ピクサー」に1990(平成2) スタンフォード大学の講演でローレン・パウエルと出会う1991(平成3) ローレン・パウエルと結婚1995(平成7) 次女エリンが誕生1995(平成7) ピクサー『トイ・ストーリー』が公開1996(平成8) Apple、NeXTの買収を発表1997(平成9) Appleの暫定CEO(iCEO)に就任Apple復帰1998(平成10) 「iMac」を発売1998(平成10) 三女イヴが誕生2000(平成12) 「暫定」を外し正式にCEOへ2001(平成13) 「iPod」を発売iPod2003(平成15) 「iTunes Music Store」を開設2003(平成15) 膵臓に腫瘍が見つかる2004(平成16) 膵臓腫瘍の摘出手術を受ける2005(平成17) スタンフォード大学の卒業式で講演2007(平成19) 「iPhone」を発表iPhone2008(平成20) ガンが肝臓に転移していたことが判明2009(平成21) 病気治療のためCEO職を一時休職2009(平成21) 肝移植手術を受ける2010(平成22) 「iPad」を発売2011(平成23) 三度目の医療休職を発表2011(平成23) Apple CEOを辞任、会長に2011(平成23) パロアルトの自宅で死去死去2011(平成23) 世界各地で追悼の声が広がる昭和平成
誕生 1955歿 2011
養子として育ったガレージの修理少年が、たった21歳で立ち上げたApple社を世界的企業に変えた。自ら招いた経営陣との対立で会社を追われながらも、NeXTとピクサーで再起を果たし、復帰後のiMac・iPod・iPhoneで人々の暮らしそのものを刷新した。完璧主義なプレゼンテーションと「現実歪曲空間」と呼ばれた強烈な説得力で知られ、56歳での死後も、多くの経営者・技術者に影響を与え続けている。

CHRONICLE

歩み

生い立ちと放浪の青年期

昭和30〜

昭和
1955昭和302月
満0歳

サンフランシスコで生まれ、生後すぐ養子に出される

実母ジョアン・シーブルは、大学への進学を約束したことを条件にポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻との養子縁組に同意した。夫妻の住むカリフォルニア州マウンテンビューで育つ。

1965昭和40
満10歳

小学校で1学年分の飛び級

好奇心の強さを4年生の担任教師に見出され、学年を一つ進められた。

1971昭和46
満16歳

ホームステッド高校でスティーブ・ウォズニアックと出会う

電子工作好きの先輩ウォズニアックと知り合い、違法な長距離通話装置「ブルーボックス」を共同で製作・販売する、最初の“事業”を経験した。

1972昭和479月
満17歳

リード大学に入学するも半年で中退

学費の重さに罪悪感を覚えて正規の学生としては中退。その後もカリグラフィー(西洋書道)など興味のある講義だけを聴講し、計18か月をキャンパスで過ごした。

1974昭和492月
満19歳

アタリに就職し、半年後にインドへ

「雇ってくれるまで帰らない」と直談判してアタリの技術者となる。旅費を貯めて友人ダニエル・コトケとインドへ渡り、導師を求めて放浪、禅仏教に傾倒して帰国した。

Apple創業 ―― 栄光と追放

昭和51〜

1976昭和514月1日
満21歳創業

— ウォズニアック、ロナルド・ウェインと「Apple」を創業

自作コンピュータ「Apple I」を販売するため、ジョブズの実家の一室で会社を立ち上げた。ウェインはほどなく自分の出資分を800ドルで売却し離脱している。

1977昭和52
満22歳

「Apple II」が商業的大成功を収める

パーソナルコンピュータという概念を一般家庭に広めるきっかけとなり、Appleはシリコンバレーを代表する企業へ急成長した。

1978昭和53
満23歳私生活

交際相手との間に長女リサが誕生

パートナーのクリスアン・ブレナンとの間に長女リサ・ブレナン=ジョブズが生まれる。当初は父子関係について見解の相違があったが、1980年のDNA鑑定をきっかけに認め、養育費を支払うようになった。

1980昭和5512月12日
満25歳

Apple、株式公開(IPO)

上場により個人の株式資産は一夜にして約2億5,600万ドルに達し、25歳のジョブズは著名な起業家として注目を集めた。

1983昭和58
満28歳

ペプシコーラのジョン・スカリーをCEOに招く

「このまま一生砂糖水を売り続けたいか、それとも世界を変えたいか」と説いて引き抜いた人事が、のちにジョブズ自身の運命を大きく左右することになる。

1984昭和591月24日
満28歳発表

— 「Macintosh」を発表

マウスとGUIを備えた革新的なコンピュータとしてマスコミに絶賛されたが、数か月後には販売不振に陥り、Apple社内でのジョブズの立場を不安定にした。

1985昭和605月
満30歳

スカリーとの対立で実権を失う

Macintoshの不振を経て取締役会はスカリー側につき、ジョブズは事業部門の責任者としての権限を剥奪された。

1985昭和609月
満30歳

Appleを去る

取締役会へ正式に辞表を提出し、保有していたApple株のほぼ全てを売却して会社を離れた。

NeXTとピクサー、再生の10年

昭和60〜

1985昭和609月12日
満30歳

新会社「NeXT」を設立

高等教育向けの高性能ワークステーションを手がける企業として、自らCEOとなって立ち上げた。

1986昭和612月7日
満30歳

ルーカスフィルムのCG部門を買収し「ピクサー」に

1,000万ドルで買収してCEOに就任。当初は専用ハードウェアの販売を主軸とする会社だった。

平成 1989
1990平成2
満35歳私生活

スタンフォード大学の講演でローレン・パウエルと出会う

講演後、予定していた会議を後回しにして彼女と食事に出かけたという。

1991平成33月18日
満36歳私生活

ローレン・パウエルと結婚

ヨセミテ国立公園で結婚式を挙げ、同年9月に長男リード・ポール・ジョブズが誕生した。

1995平成78月
満40歳私生活

次女エリンが誕生

ローレンとの間に二人目の子をもうけた。

1995平成711月
満40歳大ヒット

— ピクサー『トイ・ストーリー』が公開

世界初の長編フルCGアニメーション映画として大ヒットを記録。同月にピクサーは株式を公開し、ジョブズは億万長者としての地位を確立した。

世間「夢のような映像体験」とアニメーション業界に衝撃を与えた。

1996平成812月
満41歳

Apple、NeXTの買収を発表

業績不振に陥っていたAppleがNeXTのOS技術導入を目的に買収を決定し、ジョブズは顧問としてAppleに戻ることになった。

Appleへの復帰とデジタル革命

平成9〜

1997平成97月
満42歳復帰

— Appleの暫定CEO(iCEO)に就任

経営不振だったギル・アメリオに代わって事実上の指揮権を握り、同年のMacworldではライバルだったマイクロソフトから1億5,000万ドルの出資を取り付けた。

1998平成105月
満43歳

「iMac」を発売

デザイナーのジョナサン・アイブと手がけた半透明ボディの一体型コンピュータが大ヒットし、Appleの業績を立て直す原動力となった。

1998平成107月
満43歳私生活

三女イヴが誕生

ローレンとの間に三人目の子をもうけた。

2000平成121月
満44歳

「暫定」を外し正式にCEOへ

取締役会から1,000万株のストックオプションを贈られ、Appleの正式な最高経営責任者となった。

2001平成1310月
満46歳ヒット

— 「iPod」を発売

携帯音楽プレーヤーとして大ヒットし、翌年以降のiTunesと合わせて音楽産業に変革をもたらした。

2003平成154月
満48歳

「iTunes Music Store」を開設

デジタル音楽配信を合法かつ手軽な形で普及させ、後年のApp Storeなど配信ビジネスの原型となった。

2003平成1510月
満48歳健康

膵臓に腫瘍が見つかる

進行の緩やかな神経内分泌腫瘍と診断された。外科手術を勧める周囲の声に反し、当初は食事療法など代替的な療法を試みた。

iPhone革命、闘病、そして死

平成16〜

2004平成167月
満49歳健康

膵臓腫瘍の摘出手術を受ける

周囲の勧めから9か月後にようやく外科手術に踏み切った。手術は成功したと公表された。

2005平成176月12日
満50歳

スタンフォード大学の卒業式で講演

自身の生い立ちや闘病経験を振り返り、「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、愚かであれ)」という言葉で締めた講演は、のちに世界中で語り継がれる名演説となった。

2007平成191月9日
満51歳発表

— 「iPhone」を発表

Macworld Expoの基調講演で携帯電話事業への参入を発表。同年6月に発売されたiPhoneはスマートフォンという市場そのものを再定義した。

2008平成20
満53歳健康

ガンが肝臓に転移していたことが判明

公の場では健康を強調していたが、内部では病状の深刻化が進んでいた。

2009平成211月
満53歳健康

病気治療のためCEO職を一時休職

体重減少について「ホルモン異常」と説明していたが、まもなく治療に専念するための休職を発表した。

2009平成213月
満54歳健康

肝移植手術を受ける

深刻な肝疾患のため移植待機リストの最上位に入り、テネシー州の病院で手術を受けた。当時は公表されず、6月の復職時に明らかにされた。

2010平成224月
満55歳

「iPad」を発売

タブレット型コンピュータという新しい製品カテゴリーを切り拓いた。

2011平成231月
満55歳

三度目の医療休職を発表

体調の悪化を受け、再び療養に専念することになった。

2011平成238月24日
満56歳

Apple CEOを辞任、会長に

取締役会への書簡で「CEOとしての責務を果たせなくなる日が来たら、最初にお伝えする」という以前からの約束を果たし、後任にティム・クックを指名した。

2011平成2310月5日
満56歳死去

パロアルトの自宅で死去

膵臓腫瘍の転移による呼吸停止のため、家族に見守られながら息を引き取った。56歳没。

2011平成2310月
満56歳追悼

世界各地で追悼の声が広がる

オバマ大統領をはじめ各界の指導者が哀悼のコメントを発表し、スタンフォード記念教会では追悼式が営まれた。同月下旬には本人が全面協力した伝記『スティーブ・ジョブズ』が刊行され、世界的ベストセラーとなった。

WORKS

この人を知る代表作

著書スティーブ・ジョブズ(評伝)見る → 映画スティーブ・ジョブズ(2015年版映画)見る →

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